第0987号刑務所

文矢さん

  第一話

「水をくれ……」

  その言葉を最後に、前の牢屋にいる奴は死んだ。

心も何も痛まなかった。こんなんで痛んだり、吐いたりする位ならもうとっくのとうにクーデターでも起こしている。

この仕事をやる為に、感情は捨てた。

この仕事、警備員。「第0987号刑務所」の。

ジャラジャラとなる鉄の鍵を持ち、俺は前の牢屋の鍵を開けた。。――こいつも、やっと「牢屋から出れる」のか。

奴は布団の上で血を吐いて死んでいた。どうやら脱水症状ではなく、前々から何か病気を患っていたらしい。

 俺は連絡用の携帯電話を取り出し、死体の様子を見ながら喋り出す。死体を始めて見た時から繰り返した行為だ。

「はい、山村です。牢番号432の奴が吐血して死亡しました。……後始末、お願いします」

『了解』

 そんな言葉のやり取りだけで、人の死のやりとりが終わる。こいつらの命なんて、そんなもんだ。そう、こんだけだ。

 そう、俺は悪くない――

 

「山村、今日から昨日中の奴が死んだ「牢番号432」にまた人が入る」

「あっ、はい」

「おい、お前ちょっと来い」

 所長にそう言われ、警備員に連れてこられたのはひ弱そうな青年であった。腕は細く、筋肉が無さそうだ。さらに眼鏡をかけている。

「オタク」とでも呼べばいいのであろうか。

 こいつがどんな犯罪を犯したのであろうか―― しかし、そんな事は聞いてられない。実際、俺が警備を回っているところの人間の犯罪も

俺は何も知らない。

 その青年は、小声で「よろしくお願いします」というと他の奴らに連れてかれた。あいつはどん位で死ぬのか……。

 少し、違和感を感じた。

 その違和感をかなぐり捨て数分経つと、俺は懐中電灯を手に持ち歩き出す。朝の見回りの始まりだ。もしかしたら早速死んでいる奴もいるかも

もいるかもしれない。――いつも通り響く足音。今日、回った限りでは死んでいる奴はいなかった。

「ん……」

「牢番号432」今日、入った奴がいるところだ。普通なら、牢に入った初日は「出せ」とか叫んでいるはずだが、何も音がしない。

 自殺した――? そんな考えが頭に浮かんだ。なぜか足取りが速くなり、懐中電灯を牢屋に向ける。

 そして、牢屋の前に来た。

 頬を汗がつたり、少し息が荒くなっている。何故だろう、この牢に入っている奴は今日の朝、会ったばかりなのに。

「どうしたんですか? そんなに急いで」

 牢の中のひ弱そうな青年は生きていた。ベッドの上に座りながら、眼鏡を服で拭いていた。「死」なんて言葉は欠片もない。

 ――何故か、ホッとした。

 「お前、落ち着きすぎじゃないか?」 そんな言葉が急に出た。

青年はその言葉がわけわからないかの様に反応した。普通、そう反応するであろう。

「普通は、ここに入ってきたら「出しやがれ!」とか叫ぶはずなのだが」

「……いや、別に僕は」

青年は相変わらず驚いたような感じで受け答える。

「もしかしたら、脱走を考えているんじゃないだろうな。言っとくが、この刑務所は厳しい山の中に建てられ、警備も厳しい。脱走は無理だ!」

青年は反応をしない。本当に脱走を考えているからであろうか。いや、違う。

「図星か?」 違うと思いながらもそう聞く。

「いや、違いますよ。僕が考えていたことは……」

青年は少し間を空けながら言う。

「ドラえもんの事だけだ」

「ドラえもん……!?」

「ドラえもん」聞いたことがある。いや、それどころじゃない。

「お前、ノロマののび太か?」

青年――いや、のび太――は静かに、頷いた。ドクドクと心臓が高鳴る。

「君は……」

「僕は、安雄だ……」

懐かしかった。

 

 第二話

 「おい、ヤス」

 俺が牢獄部屋の中から出てくると、そんな声が聞こえてきた。いつも聞いている声。――あいつだ。

「何だよ卓也。お前の見回り時間はまだ先だろ」

 牢獄部屋の近くの壁に寄りかかっている男。警備員仲間の佐田卓也である。

 卓也は少し笑いながら、喋り始めた。

「ヤス、新しく入ってきた眼鏡をかけた囚人、何やったか知っているか?」

「!」

 新しく入ってきた眼鏡をかけた囚人―― 間違いない、のび太の事だ。あいつが何を犯したか、殺人・強盗・強姦殺人。どれも違う感じがした。

「その罪の名前は何だよ!」

 脅すように、卓也に向けて言う。卓也は少しびびりながらも、口を開く。馬鹿にしたような口調だったが。

「『危険物製作』だとよ」

「危険物……?」

 その法律は確か、爆弾や核などをつくったものへの法律。確かに、のび太は趣味に関しては手先が器用だった。だがあいつが?

「危険物といっても、あの囚人は普通の奴とは違うんだけどな。「秘密道具」というものを発明していたら捕まったそうだ」

「秘密道具――」

 のび太は、ドラえもんの秘密道具をつくろうとしていた。
 確かに、今の世の中で開発されているはずだった秘密道具が一つも開発されていない。このままでは、ドラえもんすら生まれなかったであろう。

 だからのび太は秘密道具をつくった。そして捕まった。ここまでの事など推測できる。

 じゃぁ、のび太は無実じゃないか。

「つまりよ、あの囚人は無実ってわけよ」

 心の中を見透かされたかのように卓也が言う。そうだ、あいつは無実……いや、違う。

 ここにいるんだ。あいつは罪人だ。大犯罪者だ。無理やり、警備員としての考えを引き出す。違うなんてことは分かっているのに。

「いや、罪は正しい。あいつはここにいるんだからな」

 俺は悩みながらも、卓也に向けてそう言い放ち、鍵を閉まいに行った 

 夜がやって来る。

囚人達にとっても、警備員にとっても夜は憂鬱だ。何故かというと囚人の疲れが限界になり、たくさん囚人が死んでいくからだ。

 この「第0987号刑務所」は凶悪犯を殺す為の刑務所だ。殺すといっても死刑ではない。勝手に死ぬのを待つのだ。

飯は、一日に一度、一人一つのパンと一人一杯の水だけだ。さらに何かやらかすと、一週間ほどそれが没収される。

 地獄絵図となる事もある。そして、夜はやはり憂鬱なのだ。

 そんな中、俺は夜の見回りへ行く。懐中電灯を持ち、連絡用の携帯電話を持ってドアを開いた。死んでいる奴はいないか――

「水をくれ」「飯をくれ」などと叫ぶ声が牢に響く。しかし、俺は死んでいる奴はいないか確認しながら進んでいくだけだ。

カツカツと足音が響く。囚人達はその足音が聞こえると叫びだすのだ。少しだけある希望の為に。しかし、俺の場合は今はない。

 もうすぐ、出口だ。

 ここまでで死んでいる奴はいなかった。俺は辺りを見回す。出口の近くにあの牢がある。そう、牢番号「432

「安雄!」

俺はその声を無視し、ただ歩いていく。しかし、出口の前で何故か立ち止まった。今日の俺はおかしい。……感情がある。

 そして俺は汗を拭き、振り向かないで叫ぶ。その声は、他の囚人達も聞いていたであろうか。しかし、彼らは馬鹿にする気力もないであろう。

「のび太! お前は無実だ。……だが、俺は助けない。決して」

のび太の顔はどうなったであろうか。絶望にでも包まれたであろうか。しかし、俺はそんな様子を気にしない。ドアを開けて、外へと出る。

 俺は感情を捨てたんだ。この仕事をやる為に。この仕事を真っ当にやる為に。

ドアを閉める音が牢獄に響いた。――じゃあな、囚人達よ。「良い夢」を。

 

 今日も、一日が始まる。

 俺はベッドの隣に置いてあった懐中電灯を取り、朝の見回りへと行く。昨日、特に死にそうな奴はいなかった筈だ。今日の朝、突然死ぬという

ぬというのはほとんどありえないであろう。

警備員の寮は牢獄のあるフロアの真上にある。という事は、見回りなどへ行くには下へ降りるだけという事だ。夜、時々、囚人の叫び声が不愉快

聞こえてきたりもする。

重い扉を開ける。

そしてまた、同じように「水をくれ」「出してくれ」の大合唱が聞こえてくる。この声を聞くと憂鬱になる。ああ、今日もまたここで見回りをやらなけれ

ば―――

 誰も死んでなかった。今日の朝は、ラッキーだ。しかし、そのラッキーは普通の人の感覚だと、アンラッキーかもしれない。しかし、俺らは感覚

が違う。

そして、また通りかかる牢番号「432」のび太はまだ生きているであろうか……

「安雄、出させてくれ」

いきなり、のび太のそんな声が聞こえた。

今まで「出してくれ」の「出」の文字すら言わなかった男が。俺に、初めて。普通の囚人らしく。「出してくれ」と。

「何で今頃、そんな事を言い始めたんだ。のび太」

俺はそののび太の言葉に対し、驚きながらも冷酷な目でそう言う。そうだ、囚人に話しかけるなら俺も囚人相手らしく話しかけるんだ。

 のび太は俺の目に少しびびりながらも、少し息を整えると口を開いた。落ち着いた、口調だった。

「僕は、秘密道具をつくらなければならない」

「それは罪だといわれたろ。だからお前は此処にいる。「犯罪者を殺す」為の場所にな」

「僕が秘密道具をつくらないと……」

 のび太の目から、一粒の涙がこぼれた。その涙には、何が詰まっていたのであろうか。後悔、苦しみ、いや違う――

 

 懐かしさだ。

 

「ドラえもんは、この世に生まれないんだ……」

一瞬、同情しようかとしてしまった。そうだ、こいつの言葉は切実だ。「秘密道具」を作って何が悪い。

裁判官達へ何やら分からない怒りが沸いてくる。しかし、冷静になるとすぐにその怒りは引く。どうやら、俺の心は完全には同情していないらしい。

「それがどうした」

 のび太の目が悲しみと苦しみの目に変わる。捕まった犯罪者らしい目に変わったのだ。そうだ、これが囚人だ。

「お前が全ていけないんだ。この国の政治は、この刑務所の判断は、間違っていない!」

そう叫ぶと、俺はその場から去って行った――

そうだ、ここは正しい国の元で運営されている。国の判断は、全て正しい。

 

夜のことだ。

一人の男がゆっくりとドアを開いた。その男の手にはなにやら、大きな入れ物が入れてある。そして、その男の声が刑務所の牢獄に響く……

「お前ら、水を持ってきてやったぞ!」

囚人たちは盛り上がった。何せ、自分たちがこの刑務所に来てから一度もまともに飲んでない水が飲めるというのだ。盛り上がるはずだ。

そして、一人の囚人が叫ぶ。

「ありがとう! お前が毎日こうやって水を分けてくれるおかげで俺らは生きてゆける!」

その声は純粋な感謝の声だった。そう、子供がお礼をいうような純粋な声。その声でさらに、牢獄内は盛り上がっていく。そんな時。

牢獄の外から走る音が聞こえてくる。水らしきものを持っている男は慌ててドアの外を見る。そして、外には一人の男が立っていた。

「何をやっている! 佐田卓也警備員!」

牢獄の声が、絶望の声に変わった。

 

朝。今日もまた、いつもの日々がやって来る。……はずだった。

朝一番に飛び込んできたニュース、それは絶望のニュースだった。目からはよく分からない内に涙が出、そして俺は叫び声を上げる。

その日の深夜。俺は鍵を持って、牢獄内に入った。

この前の「あいつ」と同じように見つかる可能性があったが、今の時間帯、この刑務所内の警備をする奴は俺だけだ。見つかる心配は無い。

そして、俺は外に置いてある一つのもの――死体――を担ぎ上げ、入り口近くにある牢屋「432」の鍵を開けた。中には寝相の悪い男が眼鏡

を外して寝ている。

 俺は死体を牢屋の中に投げ入れると、のび太をゆする。鼻ちょうちんを出して、生意気な野郎だ。

のび太は何とか起き上がった。枕の横に置いてあった眼鏡をかける。

「安雄……?」

「のび太、ここから逃げるぞ」

俺は、決意した。

 

 第三話

 ジャイアンに取られないように、オドオド隠しながら読んだ記憶がある。

何せ、面白そうな本や漫画を見つけたら即刻、取り上げるジャイアンだ。こんな面白い本を俺が持っているなんて知ったら、笑いながら

取り上げることであろう。実際、「透明人間」などの作品らも犠牲になっている。

しかし、俺の隠し方が上手かったのか、この本だけは取り上げられなかった。読み終わって、本棚の中に閉まった時、心のそこから安心

したものだ。

 その後、頭の中で何度も何度も内容を繰り返した。その度に、ドキドキし、その度に、心の底に染みていく。学校へ行く途中で、

その様子を笑われた覚えもある。

 そう、その本。その名も「巌窟王」――

 

 一世一代の賭け、その言葉は今の為にあるのではないか。

今、本当にそう思っている。刑務所――しかも、この極悪犯の為の――脱走など、その言葉通りであろう。しかも、計画も打ち合わせも

十分に出来ていない。俺が今、頭の中に考えている事だけが全てだ。それが間違っていたら、終わりだ。

 準備は一応、出来ている。この刑務所のボンクラ共は決して気づかないであろう。そう、大丈夫だ。

 「安雄、この死体は……?」

 のび太が少し、震えながら聞いてくる。確かに、普通の奴はここまで近くに死体があると、ビビるものであろう。

という事は、俺はもう普通の人ではないという事だ。

「これはな、カモフラージュ用だ」

「カモフラージュ?」

「お前が死んだと見せかける。ガキの頃、読んだ「巌窟王」を真似したのだがな」

 のび太は落ち着いて、自分と同じ様にやせていて眼鏡をかけている死体を見る。すると、「そういうことか」と納得するような素振りを見せた。

 恐らく、「巌窟王」については理解していないであろう。

 俺がのび太を牢番号「432」から外に出すと、鍵を閉めた。他の囚人たちはぐっすりと眠っている。バレる心配はほとんどない。

俺が歩き出すと、のび太も遅れないようについてくる。音をたてないよう、気をつけながら。心臓がどんどん高鳴っていく。

 とりあえず、牢獄から出ると俺は胸をなでおろした。ここまでで見つからなければかなり運が良い。俺は持っていた鍵束の中から

牢獄の鍵を取り出し、鍵を閉める。

 そして、俺は歩き出した。もう、止まれない。

「安雄、俺……秘密道具の試作品を一つ持っているんだけど」

 その時、のび太のそんな声が聞こえてきた。秘密道具の「試作品」つまり、ドラえもんのポケットの中に入っていた物を再現した物の試作品。

それさえあれば、かなり便利だ。

 俺はそれにすぐさま食いついた。あの遠い日の思い出の品が、蘇るなら。目から一筋の涙が零れ落ちる。

のび太は、それを見ながらポケットの中を探り出す。この刑務所は金属反応さえなければ持ってきていい物の検査はかなりやさしい。

家族の写真などを持ってくるものや聖書を持ってくるものもいるからだ。

「タケコプターなんだけど」

 ポケットから出てきたのは、「タケコプター」だった。黄色く、プロペラがついている小さな道具。空を飛びまわれる道具だ。

「反重力を電池で生み出して飛ぶんだけど、1時間ぐらいしか持たない」

「それでも凄いな。まぁいい。そうだな、これは別の使い道の方がいいな」

「別の……?」

 俺はその言葉を無視し、タケコプターをのび太の手から取ると刑務所内を走り出した。この刑務所の出口は一階の正門しかない。裏口もなく、

脱走はそこからしか不可能だ。

階段をなるべく早く駆け下りると、すぐに一階の端に着く。一階のロビーには、常時三人は人がいる。

「のび太、お前は俺が気を引いている間、上の窓からタケコプターで出ろ。なるべく電池を使わないでだ」

「分かった」

 俺はそう言うと、一階の階段から歩き出した。なるべく、ボーっとしているように見えるように。なるべく、目がうつろに見えるように。

 トボトボと歩きながら、俺はどんどん正門へと近づく。鍵はもう、鍵倉庫に返してある。そして、部屋にはある「細工」が施されている。

 とりあえず、ここから出て行けば刑務所内での作業は完了だ――

 ロビーの人は一瞬、脱走かと思って手錠を用意したが、俺の姿を見てその手錠を下ろす。警備員に対しては、やはり甘くなる。ここが穴

なのであろうか。

そして、俺はなるべくロビーの人に自分のボーっとしている姿を見せるように正門へと歩き出す。ロビーの人が礼をしたが、俺は無視する。

こうすれば、それらしく見えるであろう。

 そして、正門前まで来ると警備員が反応する。警備員は同僚だとも思いながらも、警備は緩めようとはしない。ちゃんと、仕事を実行している。

「山村、お前どこへ行く気だ」

 冷たい声で、その同僚は言い放った。他の警備員も、「何しに来た」と睨みつける。俺はそれに対し、考えていた通りの言葉を発する。

「ちょっと、外の風に当たって来る……」

 俺はそう言うと、自動ドアを通り抜けた。警備員たちも「警備員は脱走しても意味がないだろう」と感じたらしく、硬い警備を解いた。

「俺の脱走」はこれで終わりだ。

 しばらく、刑務所から歩いていくとのび太がタケコプターを持って、待っていた。のび太はちゃんとやってくれている。よし、完璧だ。

「のび太、ちょっとそこ曲がるぞ。お前はそこで見つからないように待ってろ」

俺はそう言うと、山の出口とは反対方面のところへと歩き出した。のび太は言われた通り、林の中に入り待ち始める。俺はジャリジャリと音を

たてながら歩く。

 この道の向こうには切り立った崖がある。昔、其処は自殺の名所として心中などに使われたらしい。そんな所へと俺は向かっている。

――もちろん、死ぬわけではない。

 俺はその道に足跡が残るように気をつけながら、歩いていく。3分もすると、その崖に到着した。切り立ったというレベルではないその崖に。

 その崖は、切り立ったどころではなかった。懐中電灯で照らすと、恐ろしい程深い谷が見えてくる。岩肌はツルツルしていて引っかかれそうな

ところは無く、足を滑らすとすぐ様死んでしまうであろう。

 俺は唾を飲み込むと、靴を脱ぎ、揃えて草むらを歩き始める。そして、また3分程歩くと、のび太の待っている場所に着いた。

「安雄、どうして靴を脱いでるの……?」

のび太が少し、驚きながら聞いてくる。俺は少し鼻で笑うと、そののび太の質問に答えた。

「「自殺」をする人は普通、靴でも脱ぐだろ?」

「へ?」

 俺は、のび太の疑問を無視して、歩いていった。懐中電灯が暗い山道を静かに照らす。あまり厳しい山道ではないが、細心の注意を

払わなければならない。

「……なぁ、安雄」

「ん?」

のび太が後ろから急に聞いてきた。夜の夜道に聞こえてくるのび太のボソボソとした声は良く響いたが、それはほとんど関係ない。

「どうして、急に僕を脱走させる気になったの?」

「……何で聞く」

「だって、「この国の政治は間違っていない」って言ってたじゃないか」

 のび太のその言葉から、しばらく沈黙が続いた。聞こえる音は石を蹴る音と人の歩く音の二つだけだった。

 そして、俺はその沈黙を静かに破る。どうして、のび太を助ける気になったのか――?

「佐田卓也っていう奴がいてさ」

「佐田……卓也?」

のび太にあいつの事を話すと、急にあいつの顔が見たくなった。しかし今日、また夜が来るとあいつはもう……

「そいつがよ、昨日の夜。この刑務所のお偉いさんに「死刑」の判決を受けてさ」

「何で……?」

「お前は入ったばかりだったからもらわなかったかもしれないが、あいつは、あいつは……囚人に水をあげたのさ。

自分の警備をしている時、毎回。毎回な」

 懐中電灯を照らさなくても、のび太がどんな顔をしているかが分かった。驚きと疑問が混ざり合ったかの様な顔であろう。間違いない。昔から、

あいつはそうだった。

「囚人を手助けしたらいけないんだってよ」

「そんなの、間違ってるじゃないか!」

 のび太の叫び声が山道に響いた。その言葉が、また俺の心の中に響いていった。そうだよ、間違っている。

「だから俺はお前を助ける。この国の政治は、この刑務所は間違っているからだ」

 その後、俺達は歩き続けた。暗い山道を懐中電灯で照らしながら。ゆっくり、ゆっくりと。その音が、卓也に唱えるお経にも思えた。

 そして、3時間程歩くと見えた。山の出口。その出口の向こうには整備された道が見えた。

其処につくと、俺はのび太に言った。ポケットの中の財布を渡しながら。

「のび太、お前はタケコプターで町まで行け。そしたら、この金を使え」

「え……?」

 のび太はその言葉に驚きながら、財布の中身を確認する。……中には、2万円ほど入っているはずである。

「大丈夫だ、俺は後1万円ぐらい持っている」

「そんな、ここまで来たんだ。安雄と一緒に町まで行きたいよ」

 しかし、俺はそんな言葉を無視し、歩き出した。そう、ついこの前に牢獄の中でのび太の言葉を無視し、出て行った時のように。

のび太はタケコプターを握り締めながら俺をずっと見つめていた。目に悲しみの色を浮かべながら。

 俺は歩いていき、のび太から俺の姿が見えなくなる頃に一つ、言葉を言い放った。そうだ、これもこの前と同じように。

「お前は、秘密道具を開発しろ!」

「安雄!」

――のび太から返事が聞こえてきた。その声は、少し震えていた。

「だから、お前が秘密道具を開発し終わったら、俺を真っ先に招待してくれ!」

俺がそう叫ぶと、少し沈黙に包まれのび太も俺も立ち止まったままの時が続いた。そして、のび太は口を開く。

「分かった!」

俺の頬を一つの涙が伝った。

 

 

▽次の日の「未来新聞」記事より抜粋

第0987号刑務所、警備員自殺

「凶悪犯を収納する、「第0987号刑務所」の警備員が29日、自殺をした。部屋には「もう死にたい」など書かれた遺書が見つかり、

近くの崖には飛び降りた形跡があった。

 警備員の親友が、「死刑」になった事からそれのせいで自殺を行ったと思われる。

 この事件は、刑務所の体質を改善する切欠となるかもしれない。」

 

そして、その当本人である俺、「安雄」はその新聞記事を見て心の底から安心する。

脱走作戦は、完璧に成功となった。

 

――10年後、のび太の発明は世界に認められる。

 

 

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